2009年9月5日土曜日

がんだからと仕事を失うの、悲しいね


 先日は実に気持ちがマイナーモードでした。
ちょっと反省。でも仕方ないのだ、人間だからと思う部分もあり、です。


 実は新しい仕事が始まるのを前にナーバスになっていたのも、気持ちがよい方向に行かないことの原因でした。
 なにをそんなこと心配しているの!と友人たちには言われたのですが、
 試験や面接を受け、きちんと採用に決定しましたと言われたのに、ずっと不安でした。
 採用から仕事初めまでが2か月と長く、くわえて契約書を交わしていない状態が続いたことで、わたしは、口で合格といわれても、そのうちやっぱり不採用ですと言われやしないか、都合が変わったので採用を取り消します、みたいに言われるのではないかと思っていのです。
 夢にまで見てしまいました。

 その不安からようやく解放され、ここ数日、気分も開放的なら胸の痛みもありません。
 つくづく人間は精神の動物です。


 しかしいろいろ考えました。
今回どうしてわたしはこんなにも不安だったのだろうか、と。
 そしてわかりました。

乳がんになり、復帰してすぐに仕事に復帰しようとしたとき、友人だった編集者に言われた
~きちんと完治してからでないと心配。
 治ったら仕事一緒にしよう、~
みたいに言われたショックがトラウマとなって、本来ノーテンキなわたしでさえ、苦しんでいるのではないか、とわかったのです。

 この病気になってから、新聞を読んでいても「がん」という言葉に敏感になっています。
それはビクビクしているから、というのではなく、自分の病気にかかわる情報は多く持っていたほうがいいに決まっている、という気持ちからです。

 ドクターが解説するがん知識、自分の治療体験をつづった読者の文章、
新しい治療法、注目の治療法などの記事をよく読むようになりました。
 そんななかで、一番ショックだったのは、毎日新聞に掲載された、がんで職を失ったり、
閑職に追いやられたりした人たちの苦悩の告白でした。
 この道一筋で仕事をしてきた腕のよい職人さん。
 女性ながら頑張って部長までのぼり、バリバリ仕事をこなしてきた人。
 仕事人間で飛ばし続けてきた男性。
 専門の知識や技術をもって企業から有望視されていた人・・・・

 こういう人々が、がんによってくび宣告をされたり、
戦力外通告を受けているのです。
 病気になったことでできなくなることは確かにあるでしょう。
 手術や薬の後遺症でマヒが出れば、仕事のスピードは落ちるかもしれないし、
抗がん剤治療の最中の苦しさは尋常ではないことも多いので、やむなく仕事を早退したり
休む日があるかもしれません。
 でも、この、新聞に出ていた人たちは自分なりの全力で病気後も仕事をするつもりなのです。
 それを奪われることはどれほどつらいだろう。

 わたしは自分の経験とも重なって、胸が押しつぶされる思いでした。

 がん年齢は30代まで下がってきています。
 新しく自分のうちを持ったり、子供ができて教育にお金がかかったり、
 将来設計のために貯蓄が必要であったりするのに、その経済的な道もとざされてしまうのです。

がんの恐さは病気で命を失うこわさより、こうした社会からのはねのけられる感なのではないか、
とさえ思います。

 上司の人たちだって、明日は我が身なのにさ。
 大切なのは技をもった人間なんで、多少のハンデくらいなにさ!
 もんもんとしてしまいます。

 わたしの不安も、がんであることを告げたときに人はどう思うのか。
 自分はもう相手を満足させる仕事ができない人間なんだろうか。というところから出ています。


 同じ病気のみなさん!
 がんばろうね。
 人に先んじてがんになったけれど、みんなだっていつかはここに来るのさ!くらいの
余裕の気持ちでいたいですよね!

 聞かれていないから今回の採用に際しては乳がんのことを言っていません。
 聞かれたら正直には話すでしょうが、その話すときまでにわたしがいかに
動けて働ける人間であるかしっかり見ておいてほしいものだ、と思っています。