2010年3月19日金曜日

本が出版されました


以前にかきましたがん再発予防の本ができあがりました。
友人たちの話だとなかなかよい場所に平積みにされていたり、
売れ行きがいいかんじだそうです。

主婦の友社からでている
主婦の友パワフルBOOKSのシリーズに組み込まれ、
『主治医も教えられない! がんを再発させない5つの習慣』というタイトルになりました。
 
この本は呼吸、食事、運動、ストレス管理、生活環境を見直したり改善しながら
無理なく、お金をかけないでがん再発を防ぐ方法を紹介しています。
わたしは乳がん患者として著者の先生のもとに通い取材を通して勉強したり
体験したりして文章をくみたてました。
手前味噌ですがとてもわかりやすい文章にすることができました。

再発予防になにかやりたいのに医師がおしえてくれない、
治療らしい治療がなくなりなんとなく不安という人にむけて書かれている本ではありますが、
実は今健康な人にも、体調が悪い人にも効果がでてくる生活改善の本です。
よかったら本やで立ち読みなどしてみてください。

乳がんで落胆したり、暗い気持ちになったこともありますが、
こうして自分の体験もほかの人の役に立つことがあると実感。
幸せな気持ちになります。

元気ながん患者としてこれからも人に必要とされること、情報であったり
体験であったり、生きるためのヒントみたいなものを発信していけたらな、と思っています。

2010年2月25日木曜日

この人おっぱいないよ


わたしは温泉、に限らずお風呂屋さんの大きなお風呂から、町の総合スパみ
たいなところが大好きです。
疲れがたまってにっちもさっちもいかなくなると、でかけていってゆっくりゆっくりお風呂に入ります。寝湯、なんかも好きで、小一時間でも横になっています。
しかし乳がんの手術後はそうもいきませんでした。
ああもう温泉とか共同浴場に行くことはないのだな、などと悲嘆にくれたりしました。
それがなにより悲しいことのように思いました。
でもすべては時間が解決してくれるものです。
手術から1年くらいして娘が、お母さんのキズは目立たなくてきれいだから、と言ってくれました。
なんだか自信がもてて、娘が一緒に入ってくれる限りは温泉が怖くなくなりました。
それでも以前とは違うことがあります。
胸をタオルでかくして歩き、お風呂につかる寸前にタオルをぱっととって頭にのせるようになったのです。やっぱりキズはキズだし,わたしは大丈夫でも人はぎょっとするかもしれないなどと思うのです。
そんなわたしが先日、五日市の温泉に行きました。
もちろん娘が一緒です。バリエーションはそんなにないけれどとてもお湯がよくて、食事もまずまずおいしいので以前にはよく行っていたところです。
でも・・・・
初めて、口に出して胸の傷のことを指摘されました。
おかあさんと一緒にきていた小さなおとこのでした.。
おかあさん、この人おっぱいないよ、というたわいない言葉。
でもなぜかわたしは硬直しました。
キズはあるんだからみんなそう思っているのはわかっているのですが、はっきりと言葉で言われると
相手が小さい子でもびくりとしました。
それからのわたしはびくびくしながら、あまり開放的な気持ちではいられなくなりました。
男の子に話しかけたいな。
これはね、病気のためにとったのよ、って言ったらどうだろう。
ほんとだね、おっぱいないね、って言うほうがいいかしら。
びっくりした? 心配してくれてありがとう、なんていう表現はどうだろう・・・・
でも実際には口をつぐみ、なにも言いませんでした。
だけではなく、娘にその言葉をいわれたと伝えることもできませんでした。
自分はしゃっきりしていると思っていましたが、ホント、軟弱です。
平気なんではなく、平気なふりだけしていたんだな、っとわかりました。
こんなとき、同じ立場の人たちはどう思ったり、どう対応するんだろう。
すごくそのことが気になりました。

2009年10月12日月曜日

マンモ月間ですね


街のあっちこっちで女性たちに向け、マンモグラフィー受診を呼びかけていますね。けっこう痛いという評判とか、しごとに家事に子育てにと忙しい女性たちの都合がなかなかつかなくて、受診に踏み切れる人は少ないようにも思えます。
でも、失ってからだと、もう返ってこないんですよね、おっぱい。
わたしは自分がおかしいくらいにクールな人間だとおもっていました。
全摘出手術をしたのに、あまりこたえていないのは、どこかに感覚的欠陥でもあるからか?なんて思っていました。
でも最近、ああ、やっぱないとつらいなと感じることが増えてきたように思います。
大好きな温泉入浴でひけめを感じるとき。
好きなデザインの服が着られないとき。
スイミングによく通っていたのですが、その機会がまったくなくなったことに気づいたとき。
シリコン製のパットでひどくかぶれるとき。
片方の肩がびっくりするくらいあげってしまっているとき。
女性はいくつになっても身ぎれいにしたいなとか、
かわいらしいカッコウがしたいな、美しい姿になりたいなと思うものですよね。
そう頭に浮かぶ次の瞬間に、自分なんて・・・・という半分あきらめの意識が出てくるとき、
ああわたしも人並みに気にしているのだなと感じます。
そんなわたしですら、こうなのですから、女性的な人たちの苦痛はいかばかりでしょう。
やっぱり面倒くさくてもちょっと痛くても、マンモ、受けてほしいですね。
っとそんな気持ちをこめて、今月はわたしも毎日ピンクリボンのブローチをつけるようにしています。

2009年9月5日土曜日

がんだからと仕事を失うの、悲しいね


 先日は実に気持ちがマイナーモードでした。
ちょっと反省。でも仕方ないのだ、人間だからと思う部分もあり、です。


 実は新しい仕事が始まるのを前にナーバスになっていたのも、気持ちがよい方向に行かないことの原因でした。
 なにをそんなこと心配しているの!と友人たちには言われたのですが、
 試験や面接を受け、きちんと採用に決定しましたと言われたのに、ずっと不安でした。
 採用から仕事初めまでが2か月と長く、くわえて契約書を交わしていない状態が続いたことで、わたしは、口で合格といわれても、そのうちやっぱり不採用ですと言われやしないか、都合が変わったので採用を取り消します、みたいに言われるのではないかと思っていのです。
 夢にまで見てしまいました。

 その不安からようやく解放され、ここ数日、気分も開放的なら胸の痛みもありません。
 つくづく人間は精神の動物です。


 しかしいろいろ考えました。
今回どうしてわたしはこんなにも不安だったのだろうか、と。
 そしてわかりました。

乳がんになり、復帰してすぐに仕事に復帰しようとしたとき、友人だった編集者に言われた
~きちんと完治してからでないと心配。
 治ったら仕事一緒にしよう、~
みたいに言われたショックがトラウマとなって、本来ノーテンキなわたしでさえ、苦しんでいるのではないか、とわかったのです。

 この病気になってから、新聞を読んでいても「がん」という言葉に敏感になっています。
それはビクビクしているから、というのではなく、自分の病気にかかわる情報は多く持っていたほうがいいに決まっている、という気持ちからです。

 ドクターが解説するがん知識、自分の治療体験をつづった読者の文章、
新しい治療法、注目の治療法などの記事をよく読むようになりました。
 そんななかで、一番ショックだったのは、毎日新聞に掲載された、がんで職を失ったり、
閑職に追いやられたりした人たちの苦悩の告白でした。
 この道一筋で仕事をしてきた腕のよい職人さん。
 女性ながら頑張って部長までのぼり、バリバリ仕事をこなしてきた人。
 仕事人間で飛ばし続けてきた男性。
 専門の知識や技術をもって企業から有望視されていた人・・・・

 こういう人々が、がんによってくび宣告をされたり、
戦力外通告を受けているのです。
 病気になったことでできなくなることは確かにあるでしょう。
 手術や薬の後遺症でマヒが出れば、仕事のスピードは落ちるかもしれないし、
抗がん剤治療の最中の苦しさは尋常ではないことも多いので、やむなく仕事を早退したり
休む日があるかもしれません。
 でも、この、新聞に出ていた人たちは自分なりの全力で病気後も仕事をするつもりなのです。
 それを奪われることはどれほどつらいだろう。

 わたしは自分の経験とも重なって、胸が押しつぶされる思いでした。

 がん年齢は30代まで下がってきています。
 新しく自分のうちを持ったり、子供ができて教育にお金がかかったり、
 将来設計のために貯蓄が必要であったりするのに、その経済的な道もとざされてしまうのです。

がんの恐さは病気で命を失うこわさより、こうした社会からのはねのけられる感なのではないか、
とさえ思います。

 上司の人たちだって、明日は我が身なのにさ。
 大切なのは技をもった人間なんで、多少のハンデくらいなにさ!
 もんもんとしてしまいます。

 わたしの不安も、がんであることを告げたときに人はどう思うのか。
 自分はもう相手を満足させる仕事ができない人間なんだろうか。というところから出ています。


 同じ病気のみなさん!
 がんばろうね。
 人に先んじてがんになったけれど、みんなだっていつかはここに来るのさ!くらいの
余裕の気持ちでいたいですよね!

 聞かれていないから今回の採用に際しては乳がんのことを言っていません。
 聞かれたら正直には話すでしょうが、その話すときまでにわたしがいかに
動けて働ける人間であるかしっかり見ておいてほしいものだ、と思っています。
 

2009年8月31日月曜日

思うほどつらくなく、思うほど平気じゃない


このところ、左胸が痛くてちょっとやになっています。
とはいっても、ホルモン療法を続けつつ、定期的な検査もしっかり行っているので、たとえば再発とか、ほかの病気と関係があるとかいうのではないと思うのです。
たぶん、左は乳房だけでなく、わきの下をえぐられているので、神経にも傷がつき、それと関係しているのだと思うのです。
ただ、思わず胸を手で抑えてしまうような痛さ、ときにチクチクした感じ、あるいはろっ骨イテ!みたいな状態になります。
だからといって、それを解消する方法はないのだろうと思います。慣れていくしかないのだと思います。
わたしは人から見ても自分から見てもノーテンキで、無駄に明るいかんじの人間です。
弱っているのは似合わないし、弱ったそぶりも見せたくないと思っています。
しかしときどき、意味もなくイライラします。ユーウツになったりします。
この、胸の痛みがきたときとか、左腕にかるいむくみとだるさが出たときとか、
左腕に大量に蚊がむらがり、刺されまくっても感じず、そのくせ、あとで肉とか骨の中がむやみにかゆいような感覚に襲われるときに、そうなります。
左腕の肩からひじあたりまではマヒしているため、蚊に刺されている途中で気づくことができません。
そのため、やたら左腕だけボコボコになっていることがあるんですね。
そのイライラを人に理解してほしいとは思わないのですが、ちょうどイライラしているときに、
あなたはそんなに元気だもん、絶対もう大丈夫ね、とか
あなたの病気はたいしたことないんでしょ?
もう今はすっかりよいんでしょ?
と言われると、なんとはなしに面白くないような心もちになります。
要するにわたしはある種のわがまま病です。
あまりいたわられるのは嫌。
そのくせあんまりケロッとしている、元気だね、と言われると、そんなわけないじゃん!!
と文句の
ひとつもいいたくなり、心の中でぶつぶつ言うんですから。
自分の気持ちをときどき持て余しながら、おっかしいな、わたしと思うのです。
だって、この病気と共存していこうと決意したときに、
いつなくなくなるかわからない命だから、ぐちをいうより自分にできる仕事をして、
家族のためにできるだけのことをして、
会いたい人に会って、人に求められていることをしようと決めたのに、
その基本がぐらぐらするんですから。
人が思うほどつらい状況ではないのですが、心の問題がこれでけっこう襲ってきて、
親しい人たちが思うほど平気でもないわたしなのでした。

2009年8月23日日曜日

自分の本を作ろうとして失敗し、ある先生の本のライターをやることになりました。

わたしは、ライター(文章書き)を本職としています。
実際には、この本職より図書館のお仕事がメインのようになっているのですが・・・でも、自分の基本は文章書きだと思っています。
そんなわたしは、このブログを始める前に、同じ乳がんの女性たちの力になれないかと思い、
乳がん本を出すべく、出版社30社ほどに企画書を送り、編集者に話を聞いてもらおうと、
動きました。
実際には、外からの企画はいっさい受け付けません、という出版社が半分。
この不景気なご時世で、うちの社ではこれこれの本しか出しません、ときっぱりことわられること多々。
実際に編集者と会えることはなく、3社、電話でいろいろ話を聞いてくれるも、最終的には
売れないですね~と言われ、でした。
本でなくても、要するに情報が必要!という人の役に立てればいいわけだと気づき、この
明るい乳がん生活を始めたわけです。
さて、そんなわたしのもとに今年6月だったかな、友人の編集者から電話がありました。
ある先生が自由診療で、がんはじめ難病の患者さんの治療をしているんだけれど、
その先生が、『がん再発予防の本』を出したいと動いているのだ、ということでした。
がんにならない体を作る、的な予防の本はたくさんあります。
特定のがんの解説書的な本も山とあります。
有名無名、患者さんの体験談本というのもよく目にします。
あるいはこれを飲めばがんは治る!的なちょっとあやしい本もありますよね。
しかし、すでにがんを患っている人に対してのがん再発予防の本は
まだ見たことがない!
っで、それ面白い!!と答えたのです。
友人の編集者は、がん本なら実際にがんなあんたがいいだろう!とふってくれたのでした。
ありがたや~~
で、大丈夫?あんた、仕事できる?体大丈夫?とさんざん心配してもらい、
元気元気!! がん本書きたいと思うも企画がとおらず、意気消沈していたのよ~~
そして数日後、医師のところに編集者と出向き、話を聞いたのでした。
その本は現在進行形。
最終的なページ数やら台割やらが決まり走り出すはまだ少し先ですが、
着々と取材を執り行い、先生には原稿のもととなる項目出しと解説を
書き出してもらい、準備中、というかんじです。
かなり難しいがんの患者さんも、とても元気に再発することなく暮らしている、といういことで
本になるときを、私自身とても楽しみにしています。
読んでもらいたいがん友達もたくさんいますしね。

2009年5月22日金曜日

ホルモン療法の後遺症


現在わたしはホルモン療法継続中です。
4週間に一度ずつおなかにゾラデックスの注射を打ち、
毎日1回アリミデックスという女性ホルモンを抑える薬を飲んでいます。
ホルモン療法の困ったところは女性ホルモンを阻害するため、更年期症状があれこれ出ることです。 
くわえて、妙な食欲が出て太ってくる人が多いことです。
私もこのところ急激にふとってきました。
でも、と思います。
食べる量が少なく、運動量が多ければ太りは防げるはず。
結局自分に負けているんだな、とわかっているのです。
更年期症状でひどいのは関痛でした。
最初に治療を始めたときには朝起きて動けるようになるまで
30、40分もかかり、治療を挫折しました。
手足の指の関節すべて、股関節からヒザから足首から腰関節から痛いのです。
手足は腫れたようになり、曲がらないのです。
それを毎朝、少しずつまげてならしてゆくのです。
なんかそこに関節があったとは思えない、まっすぐな体の部位を無理やりまげてゆくような感覚でした。
治療再開を果たした今は、多少の痛みはありますが、大丈夫です。痛みにも慣れてきました。
私の体はこんなもんだと割り切れるようになりました。
ホットフラッシュというのもけっこうきつい症状です。
顔から火が噴き出すように熱くなり、だーーーっと汗が出ます。
時間的には2,3分。
そしてそのあとに今度はガタガタとふるえるほど寒くなったりします。
と、そんな症状がずっと続いたので主治医に相談しました。
すると当帰芍薬散という更年期症状緩和の漢方を紹介されました。
私たちの場合(乳がんをした人ということ)更年期症状があってもホルモン注射を打つわけにはいかず、症状改善ができないと思っていたのですが、この当帰芍薬散という薬は、使っても影響がないというデータがあるというのです。
で、処方してもらいました。
当初は画期的にききました。
でも1ヶ月後には飲んでも飲まなくても変わらなくなりました。
気のせいだったのかな?
よくわかりませんが、今は服用していません。
服用していなくてもホットフラッシュの回数が以前の半分くらいになったし、
考えてみれば、病気をしなくてもいずれは身にふりかかってきた症状です。
みんなそうなんだ。女性ならみんな経験するんだということで納得しました。
現在、48歳。
そろそろ更年期のど真ん中の年齢だからでしょうか。
この時期、うつになる人もいるといいます。
私は幸い、ノーテンキな女なので気分が過度に落ち込んだりすることはありません。
ホルモン療法はいつまで続くんだろう。
友人で同じ乳がん治療中の友人に聞いたら、私がやっている治療の後に
まだ薬を服用しているのだとか。
閉経後の人の内服薬は前に私も飲んだことがあるのですが、それほど高額ではありませんでした。
でも友人は月の薬の金額が三万円にもなると言っていました。
いろいろな治療方法があるのでしょうが、現在4週間ごとに二万円ほどかかり痛いのに、これ以上の出費は勘弁して!!!!と言いたいなぁ。
副作用も怖いけれど、医療費はもっと恐いがん治療です。