2009年5月22日金曜日

ホルモン療法の後遺症


現在わたしはホルモン療法継続中です。
4週間に一度ずつおなかにゾラデックスの注射を打ち、
毎日1回アリミデックスという女性ホルモンを抑える薬を飲んでいます。
ホルモン療法の困ったところは女性ホルモンを阻害するため、更年期症状があれこれ出ることです。 
くわえて、妙な食欲が出て太ってくる人が多いことです。
私もこのところ急激にふとってきました。
でも、と思います。
食べる量が少なく、運動量が多ければ太りは防げるはず。
結局自分に負けているんだな、とわかっているのです。
更年期症状でひどいのは関痛でした。
最初に治療を始めたときには朝起きて動けるようになるまで
30、40分もかかり、治療を挫折しました。
手足の指の関節すべて、股関節からヒザから足首から腰関節から痛いのです。
手足は腫れたようになり、曲がらないのです。
それを毎朝、少しずつまげてならしてゆくのです。
なんかそこに関節があったとは思えない、まっすぐな体の部位を無理やりまげてゆくような感覚でした。
治療再開を果たした今は、多少の痛みはありますが、大丈夫です。痛みにも慣れてきました。
私の体はこんなもんだと割り切れるようになりました。
ホットフラッシュというのもけっこうきつい症状です。
顔から火が噴き出すように熱くなり、だーーーっと汗が出ます。
時間的には2,3分。
そしてそのあとに今度はガタガタとふるえるほど寒くなったりします。
と、そんな症状がずっと続いたので主治医に相談しました。
すると当帰芍薬散という更年期症状緩和の漢方を紹介されました。
私たちの場合(乳がんをした人ということ)更年期症状があってもホルモン注射を打つわけにはいかず、症状改善ができないと思っていたのですが、この当帰芍薬散という薬は、使っても影響がないというデータがあるというのです。
で、処方してもらいました。
当初は画期的にききました。
でも1ヶ月後には飲んでも飲まなくても変わらなくなりました。
気のせいだったのかな?
よくわかりませんが、今は服用していません。
服用していなくてもホットフラッシュの回数が以前の半分くらいになったし、
考えてみれば、病気をしなくてもいずれは身にふりかかってきた症状です。
みんなそうなんだ。女性ならみんな経験するんだということで納得しました。
現在、48歳。
そろそろ更年期のど真ん中の年齢だからでしょうか。
この時期、うつになる人もいるといいます。
私は幸い、ノーテンキな女なので気分が過度に落ち込んだりすることはありません。
ホルモン療法はいつまで続くんだろう。
友人で同じ乳がん治療中の友人に聞いたら、私がやっている治療の後に
まだ薬を服用しているのだとか。
閉経後の人の内服薬は前に私も飲んだことがあるのですが、それほど高額ではありませんでした。
でも友人は月の薬の金額が三万円にもなると言っていました。
いろいろな治療方法があるのでしょうが、現在4週間ごとに二万円ほどかかり痛いのに、これ以上の出費は勘弁して!!!!と言いたいなぁ。
副作用も怖いけれど、医療費はもっと恐いがん治療です。

乳房再建ではなくシリコンパッド


わたしは左の乳房を全摘出しているので、いろいろな場面で困るなぁと感じることがあります。
一番困るのは前にも書きましたが、温泉などに行く時です。
友人たちはそんなに人はあなたのこと気にしていないよ、と言いますが、
やっぱり気にしてしまいます。
実際に、近所の温泉施設に、疲れきったときに行くのですが、人の視線を感じます。
悪気があるわけではなく、あれっ?ないんだ!って感じの軽い視線だと思います。
でも、ああ見られているな、と感じ、気がひけるその心の動きは止めることができません。
そんなことを気にせず堂々としている女性を見たことがあるのですが、
私はまだそこまで達観できず、もう少し年齢を重ねないと無理な気がします。

プールというのも非常に困ったもんです。
水着を自宅から着てゆけば、着替えの苦痛は一度しかありません。
ですが実は水着の下につけているシリコンのパッドがずれてしまい、
おかしな胸の人になってしまうのです。
以前にはプールで1キロ2キロ泳ぐことを運動としていましたが、ここ2年は気おくれし、
プールに泳ぎに行っていません。
なので海も苦痛です。

乳がんにかかった人の本をあれこれ読むと、乳房再建で人生がまた前向きになった、
というものを目にします。
もともと胸の大きい人は、片方の乳房を失うと完全に体のバランスを崩し、生活に多大な支障をきたします。
肩コリ、からだの傾き、服選びなどなど。
精神的な落ち込みも大きいようです。
胸の小さな私は、大きな人ほど支障はないはずです。
が、よく写真を撮られるときになると、極端に体が傾いているので直してくださいと言われます。
言われても自分ではよく直せず、撮影者さんになおされると、その直される幅がとても大きくて
びっくりしたりします。
そんなふうに傾いているからでしょう、肩コリは以前にもましてひどいです。
頭痛もよくきます。
疲れて眠るときなどは体中が痛くて、うんうん言いながら体制をあっち曲げこっち曲げして
調整します。

私は今、死ぬのがあまり恐くありません。
不思議ですが、死ぬまで精一杯生きると決めてからは、やるべきことをして死のうという明確な
意志、目的を持って日々すごしています。だから恐くないのです。
でも手術は恐い。
乳がん手術は痛くなかったので平気なかんじなんですが、乳房再建はみなさん痛みと闘っているようでそれがとてもいやなのです。
へたれです。
と同時に、再建をするとその下に乳がんが出るような気がする、という根も葉もない確信が
あってできないのです。


乳房再建は嫌なのでシリコンパッドで乗り切ると決めているわたしですが、
日常生活のなかでたびたび、ああ胸がないからこれだよ!!っとため息が出る場面に
遭遇し、病気の影響の大きさを感じずにはいられません。

2009年5月18日月曜日

乳がんになってよかったこと

がんにかかったことがない人はきっと、ガンなんて恐い病気にかかって気の毒だ、そのうち死ぬんだ、  
心配をたくさんかかえて生き行くなんてかわいそう、と思うかもしれません。
患者であるわたしも完全に心配ごとがゼロかというとそうでもないのですが、手術から3年。
今にして思うと、悪かったことよりよかったことのほうが多くて、感動すらする毎日です。

一番よかったのはよい友人ができたことです。
がんの友人もそう。
がんでない友人もそう。
なんかね、がん友達は同じような境遇のなかでわかりあえるというか、気兼ねなく話せる友人です。
一方、がんでない友人というのは、前から友人だったのだけれど、乳がんになり治療をつづけているわたしを、そのまま受け入れてくれる友人です。
けっこう淘汰されました。
離れていった人もいました。
でも残っている人は本当に大切で、一生なにがあってもつきあい続けるなと確信できる友人です。

それから、自分の人生をじっくり振り返ったり、これからやるべきことを見極められたこと。これは二番目によかったことです。
今まで無理しすぎたな、という反省があって、今まで睡眠時間が少ないのが自慢だったけどとんでもなかったな、とわかったりしました。
これからは無理しない範囲で、本当に必要で大切な仕事をしよう、任務を果たそうという筋のとおった決意(?)をしています。

1日1日を大切に過ごすようになったのもよかった点です。
会いたい人にはなるべく会う。
食べたいものは食べる。
行きたい場所には行く。
やりたくてできなかったことにトライする。
いいたくて言えなかったことをいう。

人に前より寛容にもなれました。
前はわたしは怒りを起爆剤に日々生きていたんですが、今はめったに怒りを感じません。
文句いってもしょうがないよと思うことが多くなり、
あの人はあの人なりに思ってのことでしょうし、いいんじゃない?と考えられたり。

そうそう車の運転もすこぶるよい人の運転になりました。
周囲の人の運転に文句がなくなったし、スピードを出して数分を縮めることに頭がいかなくなった。


こうやって書くとなんか好好爺みたい。


反面、ここで言わないとダメだと思ったら臆せず言うし(前もかなり自由にしゃべるほうではありましが)、これを今やらないと後悔すると感じたら突っ走ることもある。

生きて人から影響を受けたり、ひとに影響を与えたりするってのは、実にすてきです。
生きているかぎりは家族や友人、社会でであうひとたちとよくかかわりあいたいなと思います。

動物好きが高じて動物ライターなどしていますが、鳥は苦手な分野でした。近頃は春だということもありいろいろな野鳥がさえずっているのを聞きながら、その姿を見ながら、野鳥にもっと詳しくなりたい!と思ったりしています。 これもささやかな変化。

しっかりものの母親を目指すのは完全にやめて、欠落点が多いおなじ人間の目線で子供たちとつきあうことに満足しています。 それしかできないしね。子供たちも面白がっているしね。

夫の仕事とか考え方に、あれこれ文句が多いわたしでしたが、気にならなくなってもきています。
自分のなかに攻撃的な面が少なくなってきたら、笑って夫婦で話せることも多くなってきました。

自然体。

これは当たり前のことなんでしょうが、わたしにとっては、最近ようやく自然体になれて、楽な生き方に変わってきたように思えます。


これらの変化は乳がんになっていろいろ考えたり、治療を通して体験したり、感じたことなので、乳がんさんありがとう!という気持ちがやっぱり強いのです。


今後病気が再発したり、ほかの部位に違うがんができたとき、
わたしは今ここに書いているような冷静さを保っていられるのか。
ときどき考えます。
できると思います。
少なくても最初に乳がんがわかったときのような取り乱しはないでしょう。
毎日をきちんと意識して生活しているので、もうこの先はどこで途切れてもいいと納得しています。
ただし死ぬときまで精いっぱい生きる覚悟もあります。

乳がんになって悲しかったこと


わたしは今、病気だから悲しい、ということがなくなっています。

でも、ここまでくるのにいくつかの山を越えねばなりませんでした。



一番高い山は仕事にまつわるものでした。

わたしはそれほど文章力があるわけではありません。

編集者として優秀なのかといったら、そこもほどほど。

ですが、

WRITINGの仕事が大好きです。

一番得意な動物関係の書籍や雑誌の記事作りはその中でも大好きですが、今までやってきたさまざまなジャンルのWRITERとしての仕事がなによりものいきがいです。



ですが、乳がんの手術を受け、リハビリで腕がうごかせるようになって、いきおい退院してきたあとで、仲間のひとりと思っていた人に、

病気を完全になおしてからでないと仕事はまわせないよ、と言われたとき、目の前がまっくらになる思いでした。



がんの中でも乳がんは完治と判断できるまでに時間がかかります。内臓癌なら5年、血液のがんなら7,8年といわれますが、乳がんは少なくても10年、本などには最近は20年とも書かれています。



わたしには当初、もうあなたには仕事は任せられないよと、印籠を渡されているように思えたのです。





しかし、そう表現した人は、血も涙もない人ではなく、こちらの体を思ってくれている人なのだ、と徐々に気づきました。

時間も不規則、仕上がるまでに徹夜や精神的負担も大きい仕事だから、仕事をふったあとに体調を悪くされ、穴をかけられるのも困る、という判断はきっとあったでしょうが、人間的にも好きだった人。人を思いやる心も大きな人だったのですから。



わたしは今、またWRITINGの仕事をぼちぼちやっています。

動物関係はへりました。

しかし新しい分野、そして前からやりたかった創作へと少しだけ進路変更して、自分なりに続けています。







 先日ある新聞にがんで仕事を追われた人々の記事が出ていました。

 第一線でバリバリ仕事をしていた人が、病気を境に閑職に追いやられ、いたたまれなくなって自ら辞めたはなし。

 上司に再三にわたって臨時職員への降格をすすめられ、飲まざるをえなかった人のはなし。

 続けていた仕事ががん治療で体力的に難しくなり、自分から転職。しかしこの不景気も手伝って、いままでのキャリアとはまったく関係ないパート仕事のみになった人のはなし・・・

 みにつまされる記事でした。


 がんに限らず、ストレスからうつになったり、交通事故で後遺症が残ったり、人が生きていればいろいろな病気や事故と遭遇します。
 でも本人がやれる、やりたいと言っている仕事ならやらせてあげてもいいのにさ。
 多少効率が前より下がるからって、会社のお荷物みたいに扱うのはどうなんですか?なんて言葉に出して文句いいながら、わたしは記事を読みすすめました。
 
 がんと聞くと、あああの人もう死ぬのねと思う人が多いのですが、どっこい、近頃は治療方法が画期的によくなり、また東洋医学や生活習慣改善の方法論も増えて、元気に復帰していく人もたーくさんいるんです。
 人は自分がその立場にならないと理解できないところはあるとは思うのですが、あまりに鈍感な人ってのも多くなっているなと思うこのごろです。

で、かくいうわたしは、仕事の大部分を失ったという悲しい現実からどうやって復活したか。
ポケモンではないけれど捨て身タックルで生きることを決意し、100人いたら50人に理解されればいいだろうという達観ができるようになり、そしてなにより、自分が死ぬその日まで精一杯いきてやろうと、わたしは仕事をして家庭も持ち続け生きてやるんだと、そこはひけないと思ったことで元気になっていきました。

 乳がんは女性がほとんどの 病気。乳房を失ったり、更年期障害にせめたてられたりするので、あまり人に言わない患者さんもいます。
 ですが、ひょんなことから話している人が同じ病気だとわかったときには、一気に親しくなり、女性だけにしゃべりまくって、情報交換もし、おたがいを大いに励ましあうという展開になることもあります。
 なんかそこのところが最近わたしにはステキ!って思えるのです。