2009年5月18日月曜日

乳がんになって悲しかったこと


わたしは今、病気だから悲しい、ということがなくなっています。

でも、ここまでくるのにいくつかの山を越えねばなりませんでした。



一番高い山は仕事にまつわるものでした。

わたしはそれほど文章力があるわけではありません。

編集者として優秀なのかといったら、そこもほどほど。

ですが、

WRITINGの仕事が大好きです。

一番得意な動物関係の書籍や雑誌の記事作りはその中でも大好きですが、今までやってきたさまざまなジャンルのWRITERとしての仕事がなによりものいきがいです。



ですが、乳がんの手術を受け、リハビリで腕がうごかせるようになって、いきおい退院してきたあとで、仲間のひとりと思っていた人に、

病気を完全になおしてからでないと仕事はまわせないよ、と言われたとき、目の前がまっくらになる思いでした。



がんの中でも乳がんは完治と判断できるまでに時間がかかります。内臓癌なら5年、血液のがんなら7,8年といわれますが、乳がんは少なくても10年、本などには最近は20年とも書かれています。



わたしには当初、もうあなたには仕事は任せられないよと、印籠を渡されているように思えたのです。





しかし、そう表現した人は、血も涙もない人ではなく、こちらの体を思ってくれている人なのだ、と徐々に気づきました。

時間も不規則、仕上がるまでに徹夜や精神的負担も大きい仕事だから、仕事をふったあとに体調を悪くされ、穴をかけられるのも困る、という判断はきっとあったでしょうが、人間的にも好きだった人。人を思いやる心も大きな人だったのですから。



わたしは今、またWRITINGの仕事をぼちぼちやっています。

動物関係はへりました。

しかし新しい分野、そして前からやりたかった創作へと少しだけ進路変更して、自分なりに続けています。







 先日ある新聞にがんで仕事を追われた人々の記事が出ていました。

 第一線でバリバリ仕事をしていた人が、病気を境に閑職に追いやられ、いたたまれなくなって自ら辞めたはなし。

 上司に再三にわたって臨時職員への降格をすすめられ、飲まざるをえなかった人のはなし。

 続けていた仕事ががん治療で体力的に難しくなり、自分から転職。しかしこの不景気も手伝って、いままでのキャリアとはまったく関係ないパート仕事のみになった人のはなし・・・

 みにつまされる記事でした。


 がんに限らず、ストレスからうつになったり、交通事故で後遺症が残ったり、人が生きていればいろいろな病気や事故と遭遇します。
 でも本人がやれる、やりたいと言っている仕事ならやらせてあげてもいいのにさ。
 多少効率が前より下がるからって、会社のお荷物みたいに扱うのはどうなんですか?なんて言葉に出して文句いいながら、わたしは記事を読みすすめました。
 
 がんと聞くと、あああの人もう死ぬのねと思う人が多いのですが、どっこい、近頃は治療方法が画期的によくなり、また東洋医学や生活習慣改善の方法論も増えて、元気に復帰していく人もたーくさんいるんです。
 人は自分がその立場にならないと理解できないところはあるとは思うのですが、あまりに鈍感な人ってのも多くなっているなと思うこのごろです。

で、かくいうわたしは、仕事の大部分を失ったという悲しい現実からどうやって復活したか。
ポケモンではないけれど捨て身タックルで生きることを決意し、100人いたら50人に理解されればいいだろうという達観ができるようになり、そしてなにより、自分が死ぬその日まで精一杯いきてやろうと、わたしは仕事をして家庭も持ち続け生きてやるんだと、そこはひけないと思ったことで元気になっていきました。

 乳がんは女性がほとんどの 病気。乳房を失ったり、更年期障害にせめたてられたりするので、あまり人に言わない患者さんもいます。
 ですが、ひょんなことから話している人が同じ病気だとわかったときには、一気に親しくなり、女性だけにしゃべりまくって、情報交換もし、おたがいを大いに励ましあうという展開になることもあります。
 なんかそこのところが最近わたしにはステキ!って思えるのです。





 

 

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