2009年3月9日月曜日

抗がん剤治療④味覚喪失


抗がん剤治療で二番目につらかったのは、味覚がなくなったことでした。
味覚は、最初、塩分を感じにくいというところからスタート。
徐々にひどくなり、最終的には完全になんの味もわからなくなりました。
舌が腫れて、ハリーポッターに出てくる、ウィーズリーきょうだいの双子のフレッド&ジョージが作り出した、舌が貼れる魔法のお菓子を食べたようでした。

主婦、おかあさんでもあるため、食事作りには本当に困りました。
自分が作っているものがどんな味なのかまったくわからないのです。
このときも息子がずいぶん手伝ってくれました。
つまり私の舌となり、味見してくれては薄いだの濃いだの、何の味が足らないだのと
教えてくれたのでした。

ちょっと話はそれますが、人によっては自分の乳がんのことを子供たちに伝えない人がいます。
わたしの周囲の人には何人かいます。
一方わたしは、しゃべりすぎなくらい、子供たちに何でも伝えていました。
今どんな状態か。
どこが痛いか。
病院でこう言われた。
お母さんが死んでしまうかもしれないから、こうして、ああして・・・・
反省するところも多いのですが、
一方でわたし自身がめげてしょんぼりする反面、闘志満々であかるい時も多かったので、
子供たちは乳がんという病気をかなりきちんとわかったうえで、
あまりそれを思い悩むことなく生活していたと思います。
今も、です。
息子などは知人が電話をかけてきて、
「お母さんはどう?」と心配げに尋ねたのに対して
「はい、がんの割に元気です」
と明るく答えたといいます。
知人は、よい伝え方したね、よい子に育っているねと
息子や私(?)を褒めてくれました。
自分ではよく認識していませんでしが、そう言われることはなんとなくうれしく、
よかったのかな?と思う要因になっています。
わたしの子どもたちは、私が調子がいいときには、普段とおりの
わがままもいう、片付けも手伝いもしない子たちでしたが、
調子が悪いときには、本当に献身的に、一生懸命手伝ってくれました。
これはすごい収穫でした。

さて、味覚の話に戻ります。
息子の助力でわたしは毎日ほぼ3食、ご飯作りをつづけましたが、
自分の食欲は本当になくなりました。
とにかく体を維持し、体力を落とさないために食べましたが。
ちなみに味覚はなくても空腹感はくるので、おなかはちゃんとグーとなったりしました。

今から思うととても残念なのは、子どもたちと行った夏の和歌山・三重の旅行での食事です。
おいしいものをたくさん食べたはずですが、その記憶はありません。
というか、このときにも味覚ゼロだったので、胃にいろいろ入れていたというだけで
何も味わうことができませんでした。
なので子供たちに、しょっちゅう
「どう?おいしい?」
「どんな味?」
「おいしいならたくさん食べなさいよ、お母さんの分も」
と言ってばかりいました。
そのうち、また機会があったら、あの地をまた訪ね、今度は率先していろいろ味わいたい。
私はひどく大食漢なうえ、食べることが何より好きなのですから。
リベンジはしたいものです。

味覚がなくなった時にためしたことがあります。
とんがらしとかわさび、タバスコ、ハバネロなど辛いものも味がわからないのか。
すっごい甘いものはどうなのか?
すっぱいものはどうなのか?
香りがうんと強いものはどうなのか?

お酢をそのまま飲んでも、砂糖をそのまま食べても味はわかりませんでした。
激辛のものも味はわかりませんでした。
でも舌が反応するので、ああ、この刺激かとわかります。
つまり味ではなく痛みが感じられるのです。

香りの強いものとのど越しがいいものは味がわからなくても食べてそれなりに満足できるもの、
でした。
前にも書きましたが、くさや、酒盗は一番食が進むものでした。
鼻から強い香りが入ってくるので、それをたよりにごはんが食べられました。
ただし塩分が強く、しばらくして体がずいぶんむくみました。
とまとは、のど越しが好きでした。
冷たくしたとまとは、いつも冷蔵庫にたっぷり入れてあり、
空腹を感じると、とまとだけガブリガブリと食べたものでした。

味覚障害。
きっとこれから私と同じ抗がん剤を使う人たちも
多かれ少なかれ体験すると思います。
そんなときには鼻で香りを感じられる好きな食べ物、
のど越しを気持ちよく感じられる食べ物を探すといいと思います。

味覚を回復してくれる薬はどうもないらしく、
治療中はどうしてもたえないといけないのがつらいですが、
抗がん剤をやめた途端、戻ってきますから
その日を夢見て過ごしてください。

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