2009年3月9日月曜日

抗がん剤治療③脱毛編


書いたら書きっぱなしにしてきたこの新ブログ。
いまさら読み直してみて、誤字脱字、表現がおかしいところ、年齢をまちがえて書いていること、などに気づきました。ものかきのはしくれなのに、はずかしいことです。
ですが、あえて直さないでおこうかな?なんて思ったり。
書きながら自分なりに動揺したり、戸惑いを思い出したりしたときに間違いが出ているようなので
めちゃくちゃな文章も、私の表現のなにかかな、と。
ちゃんと訂正しないといけないのは手術したときの年齢。
46歳ではなく44歳、もうすぐ45歳になる直前に乳がん手術を受けました。






 さてさて、抗がん剤で髪の毛がなくなることはよく知られています。
事前の説明でも先生はまっさきにそれを私に告げました。
頭の毛がぬける。
抜けかたは人それぞれで、けっこう残る人もいる。
そんな説明だったので、楽観視している自分がいました。
それと先生の言葉通りでしか理解していなかったので、抜けるのは頭の毛だけ、
みたいに思っていました。
 実際に抜けてしまう前に、頭だけではないの?とそこに気づいたのですが、
それは妹の言葉からでした。
「まつげとかまゆげも抜けるんだろうかね・・・」と何気なく言ったのです。
あっ!そうだよね~~と、不安が増大したことを覚えています。


実際には私の脱毛は人よりたいへんなものでした。
外国の競泳の選手の中にときどきいる人のように、
完全に頭はツルツル。顔もツルツル。
体もツルツル。下の毛もわきの下もツルツルになったんでした。
悪かったことは数知れず。
それは後ほど書きますが、よかったことは、ちょうど夏だったので
脱毛の必要がなかったこと(笑)でしょうか。
剃って毛がないのではなく、毛抜きとかレーザー脱毛で完全にきれいにツルツルになった感じでした。


毛の抜け方はこんなでした。
まず抗がん剤の最初の一発を体に入れて直後から、
お風呂で頭を洗うと洗ったお湯がオレンジになりました。
私の使った抗がん剤はトマトジュースみたいな赤い薬。
それが頭皮を通して外に出ているのでした。

そして1週間くらいして頭皮に痛みが出てきました。
ピンをとめていると、あるいは髪をしばっていると、ときどきとったときに痛み出ませんか?
ずっと左わけで固めていた髪の毛を右に変えたときに起こる違和感をともなった痛み。
それを何倍かに増大させたような痛みです。

そして髪の毛からどんどんツヤがなくなっていきました。
古い人形の毛のようでした。
パッサパサ。
「ああ、まだ毛はついているけれど、栄養は完全に断たれている死んだ状態なんだな」
と思いました。

痛みが出てくると、毛はどんどん抜けていきました。
ひっぱると抵抗なく抜けるのです。
ベッドや枕を毛だらけにしたくなかったので、早いうちに頭をスキカルくんで五分刈りにしました。
同時にかつらを注文し、ショートボブのようなかつらをかぶり始めました。
ひっぱると抵抗なく抜けるとはいってもさすがに髪の毛の本数は多く、
完全にきれいに抜け切ることはありませんでした。
そこで、わたしはガムテームを頭につけてベリッとやりました。
気持ちいいくらいとれたし、痛みはありませんでした。
頭髪が完全になくなるまで、毎晩、息子に手伝ってもらって、
ガムテープで髪の毛を取り除きました。
息子は、髪を抜くことが習慣化してしまい、そのうち自分の頭の毛もピチプチ抜くようになりました。
ある日、息子の頭頂あたりに500円玉くらいのハゲを見つけ、わたしは叱りました。
あとあと考えると息子なりの思いやりがそのハゲを作ったと思います。
私は叱ったことを今もすまないな、と思っています。
っていうか、ガムテームの作業を手伝わせたことが罪深いかな?と反省しています。


こうして私の頭はツルツルになっていきました。
ツルツルになってみると本当に困ったことがありました。
かつらが簡単にずれるのです。
髪があるうちにかぶる練習を人知れずしていたときにはひっかり過ぎてかぶりにくく
思ったものでした。
五分刈りにしてからはけっこうイイ感じでかぶれたのでした。
ところがツルツル頭にはとっかかりというか、かつらがひっかかる場所がないのです。
ちょこっと汗をかけばかつらはずれました。
きつめに調整してかぶると締め付けから痛くなりました。
毛のない頭は守ってくれる存在を失ったたよりない存在で、すぐにかぶれたり湿しんやおできが
できたり、荒れたりしました。
かつらは正直、本当に嫌でした。

自分が髪の毛を失ってからは薄くなっていく夫の毛のことをいっさい言わないようになりました。
今まで申し訳ない冗談を飛ばしたり、どうにもならない指摘をしてすみません!
という気持ちになったんです。
自分が同じ立場になると、ひとの苦しみ、痛みがわかる。
それを絵にかいたようなものでした。


前半4クールの抗がん剤では、頭髪と体毛の大方がなくなりましたが、
まばらにまつげとまゆげが残りました。

ところが後半に使ったタキソテールという薬では泣きました。
まつげ、眉毛、下の毛が新たに完全になくなったのです。
人の顔って眉毛まつげがないと本当に間抜けです。
私は眉毛もまつげも人より濃くて長かったので、本当に落差が大きかったです。
抗がん剤の影響でむくみもきていたので、別人の顔になりました。
必ず毎朝、化粧を時間をかけてしたのですが、
(さも病人の顔には死んでもなりたくなったので)
眉毛をかき、まつげの場所にアイラインを引いていくのに、もっとも時間をかけました。

そのアイラインには本当に高度な技術が必要となりました。
むくんだ目の周辺の肉が、外にこぼれてくるような様子の中で、
どこが眼ブチか、そこから決めないといけないのです。
まつげがあった内側、眼球近直に思い切りよくひかないといけません。
でも必死でわたしはその技術を身につけました。
今もそのとき身につけた技術はいき、今、化粧には自信があるのでした
(エヘン)

下の毛というのも下世話な話ですが、大切だと思い知りました。
一本もないというのは温泉などにはいるとき、頭髪がないよりはずかしく思いました。
大人なのに・・・・っていうはずかしさです。

まつげとか鼻毛が一本もないのも、知らなかった大変の原因でした。
勝手に涙が流れる。
勝手に鼻水が流れるのです。
液体をとどめておく毛が一本もないのですから。
鼻の中が乾燥しすぎて鼻血がでることもありました。
一生懸命にひいたアイラインが流れる涙にのってゆがみ、
パンダのようになりました。
相当ウォータープルーフ効果の強い製品を使いましたが、
それでも、です。

アメリカに住んでいる友人がいて、彼女の周辺にはお母さんはじめ、親友、義理の妹など
乳がんの人が多いのですが、その彼女が言っていました。
アメリカの女性はおっぱいが片方なくても平気でジムのロッカーで上半身裸になって着替えるし、
隠さない人がほとんど。
でもみんな髪の毛や体毛がなくなることが何より悩みなのよね、と。

その言葉の意味がしみじみ理解できました。


頭におできなどができやすいと書きました。
夏だったこともあり、あせもが特に深刻でした。
夜、お風呂のあとにたんねんに塗り薬をぬっていたわりますが、
ぐちゃぐちゃになったこともありました。
仕事が接客に近いこともやっていたので、帽子はダメというのが鉄則でした。
ですが、あまりにおできが痛くなり、かつらでは耐えられなくて上司に
明日だけでいいから黒の帽子で対処させてください、と頼み、飲んでもらったことがありました。

仕事が終わり、あるいは外出を終えて帰宅すると玄関を入ったとたんに、
アメリカの海軍士官学校の卒業式のように、かぶっていたかつらを高く放り投げる。
これが抗がん剤治療中のわたしの日課でした。

思い出せばなつかしい、ですが、
あんなガンバリができた自分が少し前にいたことを、本当にえらいぞ!と思います。
今のわたしはまたヘタレに戻っていますから。
もう経験したくない・・・・



画像は熊野の三大社のお札(?)です。
抗がん剤治療の途中で子供たちと行った旅行で回りました。
なにか強い力にすがりたい次期だったので、神殿を前にして
えもいわれぬ感動を受けたものでした。
とてもつなかしいです。

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